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2009年5月27日 (水)

ミデルプント橋の先に運河の名残発見 

5月18日の「Middelpuntはバタビアの中心」の続編である。綴りが気になったが英語ではMiddelpunt Bridgeとなっており蘭語ではMidelpunts Brugとなっているのが多いようだ。Abmidelpunt

18世紀のRachが描いた絵を掲げたがこの橋の先が現在のジャラン・コピで当時はUtrechtsestraat,といわれ、市の壁を抜けるところにユトレヒト・ゲートがあった。この通りは二つの掘割がありこれでカリブサールの東側と同じく3つのブロックに分かれる。 二つの堀はRoa Malaccaであり、Rhinocerosである。
Roa Malaccaは現在もその道路名として残っており、この画家Rach自身も住んだ通りである。Abmay_09_batavia_079_4Abmay_09_batavia_110

Rhinoceros堀の方は二つ目と三つ目のブロックの間に南側に長い中央公園があり中央部分は細長い住宅の区画であり北側もモスクの並びの一区画があり、小生はこの細い区画こそこの運河の名残であると大発見をしたつもりでいる。 


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