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2009年7月17日 (金)

Amsterdampoortは日本の所為

1808年のダーンデルス総督のバタビア城壁破壊の際も破壊を免がれ20世紀まで残った遺跡はAmsterdam poort(アムステルダム門)である。Aadampoort
バタビア城の入口とシティホール(現在のジャカルタ歴史博物館)を繋ぐ道にあった謂わば城壁都市の中の記念ゲートでシティホール北400メートルの所で現在で言えばJl.Cengkeh(昔はPrinsensraat)の北入口、高速の下辺りであろうか。1600年代には建立され、1750年ごろイムホフ総督がロココ風にリノベし、1790年ごろに両サイドにカーブするウィングが付けられた。1830年ごろ、ローマの軍神マルスとギリシアの芸術の女神ミネルバの像が立った。この写真はバタビア城を背にして描いたもので奥にStadhuis(City Hall)が見える。1839年になるとバタビアに市内電車が走ることになりその時両サイドのウイングは邪魔になり壊されレールは右端を迂回するが如く走った。日本占領時代に二つの像は紛失し、独立後淋しい姿を見せていた為インドネシア政府は1950年12月に全てを取り払った。惜しい遺産である。このようなものもあったらいいなと思う。

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違った台湾の楽しみ方が発見出来るかもしれませんよ。今の正式名称は「仁愛河」と言うのですが、今でも愛河と言う名前で親しまれているみたいです。 [続きを読む]

受信: 2009年7月19日 (日) 09時40分

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