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2009年7月21日 (火)

幻のホテル、Hotel des Indes

オランダの華やかなりし植民地時代の名門ホテルHotelDes Indesはコタ、ガジャマダ通りの入口BTNの横のドゥタ・メルリン ショッピングセンターの所にあった。その横がCarefurrであるがこの一帯は1760年は後に総督となるde Klerkの所有であった。(彼は公文書館記念館Arsip Nasionalを保有して、その膨大な敷地がここまで含まれていた) 長くこの地はMoenswijkと呼ばれたがMoenとはVOCの理事で、de Klerkの前頃であったろう。
De Klerkからいくつもの変遷を経て1830年ごろフランス人の手に渡りHotel de Provenceの名前で始めてホテルとなった。その長女が結婚したスイス生まれのWijssがHotel des Indesと名前を変えたがそれはマックス・ハーフェラールの著者ムルタトゥリのアドバイスによるものだった。その後数代のオーナーの変更を経て1897年会社組織となり、Ades_indes_hall_1
1900年代に入ると名マナージャーの功績もあり、オランダ植民終了まで、ホテル・ネーデルランデンと名声を分け合った。独立後1949年頃、政府は名前をHolel Duta Indonesiaに変えたがこのイニシアルHDIはHotel Des Indesから来たものである。その後、1962年完成のHotel Indonesaにその地位を譲り、1971年頃取り壊した。所でオランダのden Hagueには今でも同じ名前のHotelがあるようでこちらは今も1881年の伝統のエレガントな姿をとどめている。何故壊したのかとシンガポールのラッフルズホテルを引き合いにいきまく人も多い。外観の古写真は歴史が長いだけに色々あるが、余りDegnityを感じるものがないので、ダイニングホールを掲げる。
ここでライスターフェルが生まれたはずであるが 一人コヒーなど飲みたくなる風情である。

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