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2009年7月 1日 (水)

Maurits Van Happelもプラサスティ

先般6月21日のJaques de Bollan(1684年没)の墓石の紹介にあと4人の名前が出ている。
この墓の形式は正式にはなんというのか知らないが紋章盾(Coat of Arms)が彫られた鉄版で多分箱状になっているのであろう。この箱の中に何人も入るのであろうか  Abollan_happel_dscn0125
Bollan の墓はこのビッグファミリーの墓で全部がコタの旧教会の家族用地下納骨所におさめられていたものである。他の名前は 
Henric de Bollan(1701年没): Bollan の息子、警察の長官を務める。
Johan Maurits Van Happel(1690年歿):Bollanの娘Johannaの婿
Henrietta van Happel(1689年歿):van Happelの娘
Bollanの娘のJohannaはHappelの死後、Harman de Wilde(1707年歿)と結婚、彼は後パクブアナ一世となるPuger王子を応援しSunan Masと戦った隊長であった。彼のCoat of Armsはこの墓の下の方に小さく彫られている。
Van Happelの孫娘は1740年の中国人虐殺事件の責任総督ファルケニールの妻となっている。後一人の孫娘でこの墓碑公園に墓のあるJeremias Van Riemsdijk総督の妻となった者もいる。以上Heuken氏の著作より。当時の小さな上流社会を垣間見るようであるが、彼らも今時東洋人にこのように懐古されるとは思ってなかったであろう。

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