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2009年7月 3日 (金)

旧バタビアの驚く運河網

旧バタビアに流れ込む川はチリウン河とクルクット河である。どちらも蛇行しながら市街地に入り始めて運河として制御され道路沿いの風景となる。それまでは家屋の裏側をうねって時々橋の所で顔を出すだけである。チリウン河で言えばイステクラル・モスクの所で東西に分けられジャラン・ポスとジュアンダ通りに併走し、其のあと夫々グヌン・サハリ通りとガジャマダ通りに添い北上する。グヌン・サハリ通りの運河はアンチョールに流れ込むが本流はマンガブサールの所辺りからパンゲラン・ジャヤカルタの方向に西行しシオン教会からコタ駅裏へそして旧バタビア城壁都市の東を守るかのごとく北上しローダン通りの間からスンダクラパに流れ込む。
Alindeteves_ciliwun_111
ガジャマダ通りを北上した運河はリンデテヴェス・センター裏から東に折れパンゲラン・ジャヤカルタで本流と合流する。
一方クルクット河はチデン河と合流分離を繰り返しタンボーラ辺りで二つに分かれ一つはカリブサールとなり、一つは旧バタビア城壁都市の西側を守るかの様に北上し、見張タワーの所でパキン通り添いに導かれてきたカリブサールと合流しプルイット沖に流れ込む。A
つまり旧バタビア都市はチリウン河とクルクット河の間にカリブサールを流しカリブサールを中心線とする二つの東西ブロックを形成している。その城壁都市の中は更に縦の運河が東西に2本ずつ、又横の運河を東西3~4ずつ流している。
ファタヒラーとセラミックミュージアムの間にあった運河タイガースグラハトも単独で北に流れた(と以前書いたが)りせず城内運河網を形成した一つであった。
更に特筆すべきは、カリブサールは元のチリウン河で1629年マタラム軍が攻めてきた当時はうねった河であったが1650年の地図では真っ直ぐ流れる運河とし、これだけの運河都市を作ったという土木技術の素晴らしさである。

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