« ロッテルダムの次はデンハーグの筈 | トップページ | Kohler将軍、聖戦の餌食に »

2009年8月 5日 (水)

今はない Bahre & G.Kinder

橋の名前がないから昔の名前で言うとMiddelpunt橋の袂、ジャラン・コピ゚の入口左側に立つ建物は何の感興も湧かないが、ここは昔ドイツの商社が入っていたとの記述を読んだ。Asunda_kelapa_028
それがC.Bahre & G.Kinderであるが、この会社は1848年に設立されている。Gustav Kinderはドイツのブレーメン市や一つの王国であったサクソニー、オルデンブルグ王国やデンマークの領事であった。この会社は1884年には砂糖暴落のため倒産している。その後は名もない会社が入れ替わり立ち代り存在したのであろうが記録はない。特徴は1階のオープン・ギャラリーと2階のイナーギャラリーで鉄棒や針金で意匠をあしらわれている。入口にブレーメン市の紋章があったそうであるが、現在は落ちぶれた風情である。


|

« ロッテルダムの次はデンハーグの筈 | トップページ | Kohler将軍、聖戦の餌食に »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 今はない Bahre & G.Kinder:

« ロッテルダムの次はデンハーグの筈 | トップページ | Kohler将軍、聖戦の餌食に »