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2009年8月 6日 (木)

Kohler将軍、聖戦の餌食に

Akohler
H.R. KohlerはJongker総督から色々遠征を下命された将軍(中将)である。1824年イギリスよりインドネシアの還付を受けたあと、オランダはジャワに専念し一つ、パドリ戦争を終結したあとは土人領には干渉しない方針であったが、土人領主の圧制、海賊の跋扈、奴隷売買も行われるようになり、特にスマトラは荒れていたため終にランプン、バタック、ベンクーレンを押えることになった。スマトラ東海岸のシャクでもそれをオランダ領としたがアチェーが領土支配を主張してきたため関係は悪化、アチェーが他国の支持を得ようとした動きに対し1873年にLaudon総督は開戦を決意、第一次遠征隊としてKohler の遠征軍を送った。Kohlerは宮殿攻撃の積りが誤ってモスクを攻撃した為住民の反感に火をつけ、自身は銃弾に倒れた。これがオランダが東インドで最大の犠牲を払った戦争の始まりで1904年にやっと終結するのである。Era Muslim Digestと言うイスラムの雑誌に写真と共に出ていたが、彼が倒れた所はアチェの象徴たるBaiturahman大モスクの前で、Hidup Mulia atau mati syahid(気高く生き、聖戦に殉じよう)のスローガンに燃えるMujahidin兵士のスナイパーであった。と高らかく歌い上げている。墓碑はプラサスティ公園にある。

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