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2009年8月10日 (月)

ドイツ人社会にはルーター教会

昔カリブサールにドイツの商社やブレーメン公国の領事館があったことは紹介したがそれはVOCの頃多くのドイツ人が住んでいたひとつの証左である。ドイツ人の宗教となるとルーター派新教であるがその教会もバタビアにあった。オランダの宗教は改革派(プロテステント)であるのでバタビア城壁市内の中には改革派の教会しか認められなかったが、1749年ルーター教会が認められたのがその最初の解禁である。プロテスタント以外の宗教を城壁都市内で行うことは禁止されていたのであるがドイツ人であり、ルーター派であったイムホフ総督の時代だからこそできたのであろう。Alingkar_batavia_m1y3109_055
場所は現在のカリブサール・チムールとネラヤン・チムールの角地にあったが、1831年の洪水や地震で崩壊した。ルーター派はその後カルビン派と共にガンビールのウイレムスケルクで祭事を行い、更にはインディッシェ・ケルクとして統合された。本国の教会統合政策があったのであろう。この場所に行くことは現在は殆どないのであるが、例のつり橋の東側の袂で運河沿いがバスターミナルになっている。

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