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2009年8月19日 (水)

Tiang Bendera旗柱通りの謂れ

旧バタビア城壁都市の西の端、地区で言えばRoa MalakaであるがここにTiang Benderaという通りがいくつかある。Amay_09_batavia_080
この地区に昔中国人カピタンが住んでいて毎月1日自宅に旗を掲揚していたそうで、それは華人社会に人頭税等の払いの日を知らしていたということである。それは中国事件虐殺事件の後の1743年頃であったがカピタンは土地を更にイムホフ総督より購入しカピタン事務所とした。この通りはジャランコピをはさんで南北に走っているがこれが昔の運河の跡だと紹介したことがある。
北側は高速と鉄路で遮断されており更に北があるので、そこが城壁都市の本当の北端で殺伐としている。写真は南側であるから北を望んだもので昔の運河は今の公園の如しである。

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