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2009年9月17日 (木)

Pasar Ikan Zeeburugの裏側

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インドマルコ「インドネシア企業経営」7月号の表紙はオランダ時代のバタビアの北の砦Zeeburugである。普通はスンダクラパの海洋博物館の長い建物の北端にあるのであるが、その西側に立ったアパート(ミトラ・バハリ)の方からも行くことが出来る。この写真の奥に見えるのが海洋博物館で右と左に倉庫がそのまま放置されている。左側の倉庫のあたりがZeeburug砦であり、その昔はその北、こちらから見た奥の並びには海がいりこんで更に左のWadukにつながっていた。Saimage0002yoko
つまり数日前のブログ「チリウン河の河口」で言うチリウン河が流れてきてこのパサル・イカンと海洋博物館との間で海と混じりあいワドックの方に流れる流れがあったのである。この流れはミトラバハリが立つ前に西半分がうずめられたがZeeburgの裏側辺りまではまだ入江的に残っていた。 小生が行った時は気がつかなかったが、後でそれも今はなくなっているのではないだろうかと再度確かめに行ってみたがこの写真の処からは見えず、住民も何もないというのでやはり今はなくなっているのであろう。パッサールイカンから覗こうとしたが、昔の魚市場の裏には民家のバラックに阻止され、大昔の水族館もペンタゴンもこの入江も、バラックから出てきた老婆の口の端にも出てこなかった。

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