« ガルーダのエミルシャー | トップページ | 身近に味わえたジャワ建築 »

2009年10月26日 (月)

スロパチとトルノジョヨ

スロパチはオランダと戦ったので道路名になり、英雄にもなっている。英雄認定は1975年であったAabrimob_sep07
。同じようにオランダと戦ったトルノジョヨは道路名にはなっているが英雄認定ははっきりしない。 少なくとも手元の132名中には入ってない。彼らはパクブオノ家となるパンゲラン プーゲルを中心に30年と違わない同時代に生きている。
先にスロパチについて書いたようにスロパチはプーゲルにVOCが付いたため反プーゲルのアマンクラットIII 世側に付きオランダと戦ったが最後は1706年に死亡。一方トルノジョヨはアマンクラットIIIの祖父アマンクラットIが残虐であったため、1674年これに反抗し立ちあがり、王宮も占拠、アマンクラットIはVOCに援助を申し入れたもののVOCはすぐには耳を傾けず、為に逃走中に死去、後を継いだその子供のアマンクラットIIに対し兄弟のプーゲルもスナンを呼称し張り合う中であった。トルノジャヤに付いたマカッサル族の海賊行為の激しさも起こりVOCはアマンクラットIIの要請にスペールマン軍を派遣した。この戦いで、トルノジョヨはVOC側のJonkerに降伏、アマンクラットIIの手により1682年頃刺殺された。VOCの介入が最初はアマンクラット側、次いでプーゲル側と入れ替わるため勘違いを起こしやすい。この通りは国家警察の本部と機動隊の本部が並んでいる。機動隊の本部には警察のミュージアムがあるそうで、又誰かの銅像も立っているが足が向かない。

|

« ガルーダのエミルシャー | トップページ | 身近に味わえたジャワ建築 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: スロパチとトルノジョヨ:

« ガルーダのエミルシャー | トップページ | 身近に味わえたジャワ建築 »