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2009年10月21日 (水)

スラパチとコルネリア・クノール

Cornelia
オランダに反旗を翻し戦ったスラパチは日本婦人コルネリアの下男でもあった。
この話は昨年7月6日のブログに書いたが、コルネリアの主人はVOCの幹部のクノールである。コルネリアとの間には二人の娘しかいないが、Heuken氏の話だとクノールの息子にいじめられスロパチが反抗したためバライ・コタの牢獄につながれたが、脱獄に成功し反オランダの叛旗の下プリアンゲルの山岳地帯に立てこもり以降も死ぬまで反オランダと戦い今はメンテンの中央公園の名前にもなるとともに国家英雄なっているほどである。1660年生まれ、1670年代末VOCの追手にプリアンゲルからマタランに走り、その当時VOCと同盟を結んでいたマタランのスーナン・アマンクラットIIはスラパチを歓待、これに怒ったVOCはタク少佐を派遣したがマタラムの手違いで以下70名が死亡する事件が起こり、スラパチは更に東部に撤退、パスルアンに独立国を宣言するに至る。その後アマンクラットIIは1704年に死去、その子供のIII世が即位したが残忍な暴君であり、その伯父プーゲルとの仲からVOCはプーゲルを支援する第1次ジャワ継承戦争となった。III世はスラパチと同盟し戦ったがVOCの大軍にスラパチも倒れIII世もスラパチの息子ラフマッド等残党と共にその後も戦うが1708年VOCのクノールに降伏、最終セイロン島送りとなった。プーゲルがパくブオノ家を創設することになるが、そのため高い代償をオランダに与えることとなった。この話の最後にまたクノールが出てくるが、コルネリアの主人のクノールとは同名ではあるが別人である。子供である可能性もありそうなると話は面白くなる。スラパチはUntung Suropatiスロパチとも呼ばれるが、よく似たスノパチは別人でこちらはマタラム国の始祖である。

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