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2009年11月の投稿

2009年11月30日 (月)

アンチョールがFree Fall

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アンチョール・ドリームランドは来年動き出す。保有のPT Pembangunan Jaya Ancolの社長Budi Karya Sumadi氏は来年計画している社債の使途について大投資を行うことを発表した。投資規模は5,200億ルピア、特にゲーム機器の設置とアミューズメント・ショーが目玉のようだ。
ドリームランド・ジャヤ・アンチョールは三つのテーマパークを持っている、すなわちドゥニア・ファンタジー(DUFAN)、Gelanggang Samudera oceanarium及びAtlantis Water Adventure water parkである。
来年他のセグメントを加えたいとして、それはドイツから輸入するFree Fallを含んでいる。またBalada Kera(動物人形のオペレッタ劇場)も伝統文化を加えたコンセプトに衣替えする。
同社は売上が年間, 7,800億規模であるが内この観光部門で8割を占めの残りがリアルエステートである。

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2009年11月28日 (土)

消えたノスタルジー:チキニのトリオ

前回帰国の1日前、チキニの日本料理店 菊川に寄った。会社を出たのが9時過ぎでなんとなく足が向いたのであるが、閉店直前ながら日本人の3人の昔話が長引いいており小生も夕食にあり付けた。Aa2009_1127_193927dsc09007
この菊川の前を出て高架鉄道の前を右に曲がるとそこににぎやかなローカルのレストランがある。この前ここに来てみたが、実はここに昔古いレストランがあったはずだとおもったからであるが、又そのあとここに付いて書いた書きものに出会った。コンパスの記事で西先輩が翻訳したものでそれでこれが確かに向かいのレストランのArt&Curioである事がわかった。 この記事ではトリオという名前の店もあったような事が書いてあり、昨日再度訪れてみたのであるが、それは又の名前で同じものである。多分隣で骨董品店を兼営していたのだろう。昔行った時の記憶では竹で編んだ壁で仕切った内装で食べたのは堅いステーキを鉄皿にカルトッフェルプレーで淵取りがしてあったと思う。その書きものの一部を引用すると
「1970年代、このレストランの客は野天の庭に置かれたテーブルで食事ができた。テーブルの上には、ろうそくや小さいランプのほの暗い灯りと、小さい花瓶に挿された一輪のばらが置かれていた。「ほとんど完璧なキャンドルライト・ディナー。ときどき電車の轟音付きだったわね。」チキニの鉄道線路からあまり遠くないレストランの昔をかの女は述懐する。
レストラン部分とは別に、その建物のもう一方の端にはアンチークや絵画の商品が飾られていた。残念なのはあの雰囲気がもう褪せてしまったこと。ほの暗いランプや従業員の制服はまだ同じでも、建物のテラスと庭は竹壁と石膏ボードで隔てられてしまった。四角いテーブルと四つの椅子は、丸テーブルと5~6脚の椅子に変わっている。」
ちょっと小Aa2009_1127_193608dsc09001
生が昔行ったのは上の引用文の述懐いしている80年台だったかも知れない。それから又20年以上たった今その店は人手に渡りナシ・ウドゥックの店になっている。内装に竹製の壁は今も残っているがもう昔のノスタルジ-は沸かない。聞いてみるとそこはもう売りに出されているが土地の名義が古すぎて昔のオランダ人の名前から変わってないようで上手く行ってないとのことだ。このローカル・レストランの名前ももう長くはないのではないかとさびしい気がした。この高架鉄道がなせるわざかもしれない。多くを泣かせるジャカルタの交通行政の一つである。写真はイドゥルハドハの日、なぜか休みであった。

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2009年11月26日 (木)

いつも曇りの香港 国連しつけ憲章

今日、日本を飛び立った日は最高の快晴で飛行機は成田を飛び立つとすぐ機首を横須賀方面に回し江の島、伊豆半島を超え、日本のメガロポリス上空を南下した。海岸線迄ビッシリの住宅群、紀伊半島の鬱蒼たる山脈のうねりを見ながら四国を横切り最後気が付いたら開聞岳がくっきりと見えていた。Aa2009_1126_124506dsc08993_2
逆光であったが反対側なら富士山もきっときれいに撮れただろう。何度も香港には行ったがこのようなルートを取ることが解ったのは今日が初めてである。香港に近づくと2-3層の薄い雲が」多いところどころ太陽が差し込んでいる中写真をとるひまもなく着陸した。香港空港は最初の印象が悪かったので、63番ゲートから28番ゲートまで途中3ケ所の動く歩道の壊れた箇所にはやっぱりと呆れながらであったが言いところは着陸して直ぐブリッジに付いたり離陸も離陸ポイントがブリッジからほんの少しのまだ見えるポイントという近さである。
日本からの乗客に中近東系のおっさんが離陸直前まで携帯でしゃべり、着陸するまで早口のキンキラ声でしゃべっていたが3度ほど振り返り注意したが甲斐はない。文化の違いだろうか、国連で他人の邪魔をしないというしつけ憲章を提唱する事が必要なじだいである。

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2009年11月25日 (水)

ジャカルタの鼠小僧

国立博物館の歴史を訪ねていると1963年に悪名高い盗賊Kusni Kasdutに、宝石類が盗難にあった事件に出会った。どうもその時代民衆の喝采も浴びていたようで調べてみると彼は確かにロビンフッドとも呼ばれ盗んだ金品は貧しい人々に配ったとそうだ。若い時は独立の闘士であり、またカトリックの洗礼を受けている。別の話だと国立博物館に押し入ったのは1961年5月31日で盗んだ宝石は11個とある。結局は逮捕され他の事件と合わせて死刑となり80年に銃殺処刑された。Aa047
間違いを恐れず想定するに60年台に別の事件で有名なのはKebun Sirih通りの金持ちのアラブ人殺し事件があるが、彼はこの際逮捕されたのではなかろうか。彼の右腕はチキニの現在Sofian Hotel裏のAnak Ali でKusniはジープの中からこのアラブ人を射ち殺したあと、警察のと銃撃戦となりAliは打たれて死んだとあるからである。

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2009年11月23日 (月)

カルマに生きるSiti Murdaya

ご主人のMurdaya Poo氏と一緒にインドネシア富豪の上位におられる方で、お二人でBercaグループの一大産業グループを分担しておられるようだ。Aaccm_cikiniaug09dsc08015_10
チキニにその本社と思わせる建物があるが今日は古い方を掲げよう。
Berca グループはCenter Cipta Murdaya Group (CCM)とも言われ、1969年に設立し今は靴、ガーメント、木材、家具、パームオイル、、林業、不動産、IT関連で40社を擁している。 彼女Siti Hartati Murdaya 63歳は自身スハルト時代からMPRの議員でもり政治活動に影響力をもっているが、ご主人Murdaya  Widyawimarta Poo 69歳が2004年で国会議員になった時は夫人が経営に専念した。
アチェ・ニアス、ジョグジャと続く地震に現地に赴いて復旧活動を支援してきた。インドネシア仏教教会ワルビのパトロンである。西スマトラ地震では医薬品、救急車2台を送り緊急キッチンも設営した。少し地震が続き大変であるが、これも輪廻転生、因果報応のカルマに生きるとして淡々としている。その中でビジネスの芽を拾う事は忘れてないようだ。5月にはボロブドール巡礼イベントを企画し国内外から多くの観光客を呼び寄せ成功している。長く現大統領を支持してきたが夫はメガ陣営であった為彼女の助言でSBY派となったようだ。
Bercaグループは仏教の教えで過大に走らず慎重に経営に徹しているようだ。

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2009年11月22日 (日)

Koko dan Cici 2009ビューティコンテスト

19日に決まった西ジャカルタの美男美女というコンテストである。ジャカルタのこの手のコンテストでは昔からAbang dan Nona というのがあったがその町内版コンテストである。西ジャカルタは中国人の町なので、Koko_cici_2009_toni_1
これは中国人が対象のようで32名がノミネートされて、ちゃんとファウジーボオ市長をゲストにハヤムウルックのリンデテヴェス・トレードセンターで行われた。王冠はAlvin Tjandra と Vina Candraに輝いたが二人は西ジャカルタの観光促進の任務を負うこととなる。クトゥルナンがこれだけ前面に出てくるとは時代は変わったものである。

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2009年11月21日 (土)

Kembang通りのTerang Bulan

インドネシア・クロンチョンの父イスマイル・マルズキの胸像はチキニのタマン・イスマイル・マルズキ(TIM)にあるが、この辺りはイスマイルの育った故郷である。Aakembang_jikt_nov_048
出生地はこのTIMの裏側を流れているチリウン河の少し下流のクヴィタン地区のグヌン・アグン書店へ下る通りKembang通りである。クヴィタン・モスクから40mのNO.IV/97であるが今は他人が住んでいる。
1921年5月11日生まれであるので今年88歳であるが健在である。彼はここで生まれたが3ケ月で母が逝き、兄3人も一人を残して早世した為さみしい子供であった。このモスクの隣にマドラサー(イスラム学校)がありここの校長に多くを学び1931年には早くもSarinahという曲を作っている。ナショナリズムにも目覚めGugur Bungaや、Indonesia Tanah Pusakaも生まれている。マレーシア国歌と同じメロディーであるため今でも物議を醸すこともあるTerang Bulan to言う映画も1930年台制作されイスマイル自身映画で歌っている。
Rayuan Pulau Kelapaという曲は1944年の作品でインドネシアだけでなく各国から称賛を浴びスカルノはWijayakusumak勲章を与えた。彼は今までに300曲以上の曲を作っている。2004年にはべたウイ文化協会は国民英雄に推した。Terang Bulanはこの辺りが源流だと思っていたがマレーシアにはマレーシアの歴史の正当性がある。それは2009年 09月4日のexblogインドネシア語の中庭ノートに詳しい。


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2009年11月19日 (木)

残酷なファタヒラー広場

ファタヒラー広場はここに現在のジャカルタ歴史記念館が1710年の建立になるのでそこから300年である。
ジャカルタ歴史記念館は元々シティホール、オランダ語でシュタットフイスとして建てられ市民の住民登録や出産・結婚・死亡、それに民事他刑事の裁判も行われていたが 圧倒的にその特色は刑務所と処刑である。刑務所はこの建物の左右のウイングの男女刑務所や地下牢、後ろの建物も刑務所があったという。当時は処刑の為には自白が必要であったので拷問室もあったが、正面玄関の下に水牢があり、今も水がたまっており玄関の左右から覗きこむことが出来る。
死刑は見せしめの為ファタヒラー広場で行われ、責任者が玄関の2階ロビーから検閲したらしい。Aafatahilah_kejam_m1y3109_076
現在もある時
出かけた時、子供を餌食とする出し物をやっていた。写真の正面に体にゴロゴロ巻きされうつむいているのが
子供で周りには音劇団の人々が騒ぎ立て見世物にしていた。通った時はもう終了していたのでにらみながらこの集りの真ん中を突っ切るのが精いっぱいの抗議であった。


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2009年11月18日 (水)

マレーシア空港とクアラルンプル飛行場

仕事の都合で予定の帰国のチケットを捨て、延長後の今日シングルチケットで帰国した。片道チケットは非常に高いという事は聞いていたが、それはJALだけに当たり、MAもGAも300ドル台であった。これでMAの場合は
JKT-KLとKL-NRTで2回の食事とワインやビールを提供してくれる。Aa2009_1117_230049dsc08991
マレーシア空港は降りたところが乗り継ぎのゲートと偶然であろうがあまりの便利さに驚いた。時間があったのでショッピングに出かけたがCターミナルまでのトレーンで2分、シンプルで解りやすい作りである。、又リチェックもゲートで行うだけで、長い行列に並ばねばならない香港より時間が読める。インドネシア語でしゃべることも出来、制服のごっつい婦人警備人が優しく案内してくれる。ジャカルタから隣の席に来た若い女性に降りた後何度も偶然会い笑顔がほんのりさせる。
Anthon Bergのリキュール・チョコレートを買った後、ゲートに戻りリチェックで携帯を検査機に通すように言われたのが唯一不審な点であったが、これも日本行きになると乗客がガタンと下がり時間があるからだろう。

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2009年11月17日 (火)

直近企業ニュース

11/09 3番手の携帯大手Exelcomindo、2010年収入増12%アップ、顧客数33mil目標
11/11イ原油生産、2014年までに現在の960,000バーレルより1.2百万バーレルへ25%アップ
11/11 Antam ニューモント株購入を延期へ
11/11新日鉄、プルタミナ子会社Latinusa社買収へ、三井物産、日鉄商事とともに
11/11国産品使用義務、国営企業に30%~50%の義務化
11/12 小売りのPT Mitra Adiperkasa (MAP)、Rp 5,000 億のsukuk社債発行、金利は3年物で11%、5年物で13%
11/12 BPMigas: Cepu オイル鉱区-2012年までに165,000バーレルの生産目途
11/12 プルタミナも2010年14億ドルの投資で原油生産を11%増量
11/12 Aneka TambangのNewmont株購入は延期
11/12 グリーンスパン、紙パ会社PT.Riau Andalanを妨害へ 50人規模
11/12 国内セメント生産、10月は昨年日22%アップの3.8百万トン

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2009年11月16日 (月)

知らしむべからず

付加価値税の掛らない物品の一つに、地球からそのまま採取されて、加工されてないものがある。それはそれで意味は十分わかるものであるが、新しい付加価値税法では長々と例示をあげている。以下の通りであるが、それこそ逆に辞書にも無いものがおおく却ってわからない。
Asbesアスベスト、batu tulisスレート、batu setengah permata半玉石、batu kapurライムストーン、 batu apung軽石、batu permata宝石、bentonitベントナイト、domomitドモマイト、 felspar長石、garam batu 岩塩grafit 黒鉛andesit安山岩、gips 石膏、kalsit 方解石、kaolin カオリン、leusit レサイト、magnesit マグネサイト、mika 雲母、marmer 大理石、nitrat 硝酸、opsidien オプシヂエン、oker 黄土、pasir砂、kerikil小石、kuarsaクオルツ parlitパルライト、fosfatフォスパット、talk 滑石、tanah serap土壌、 tanah diatome、 tanah liat粘土、tawasカリ明礬、 trasトラス(セメント)、 yarosifヤロサイフ、 zeolitゼオライト、 basal玄武岩、 trakkitトラカイト
他にもシャーリア法典からのMAUSAWAMAH(リース)という言葉など、外国から言葉を駆りまくっている。難しい言葉を使いたがるのもインドネシアのお上の癖である。

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2009年11月12日 (木)

スノパチからスリヨ通り

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スノパチ薬局のあるスノパチ通りを下るとスリヨ通りである。鳥元に行く時よく通るが昔はウイジャヤ通りへまっすぐ抜けたが今はウォルターモンギシディ通りで右折させられる。この通りも多くのサロンやレストなど華やいできたが一方通行で交通量も多い道である。このスリヨというのは最初の東ジャワ州長官であった人の名前である。
1898年東ジャワのMagetan生まれ、HISを卒業後、MagelangのOsviaで学び、Ngawiで民政官を務め更にマディウンやスカブミ、ジャカルタで警察関係に携わり、日本占領時は県知事や理事官を務めた。独立後直ぐ東ジャワ州長官になりこの時、イギリスのスラバヤ上陸を迎える。独立か死かとスラバヤを死の海としたこのスラバヤの戦いを戦い抜いた。最後はDPAのメンバーであった時代に業務でNgawiに出張した折、共産党の暴徒に遮られ殺された。1948年50歳であった。1964年独立擁護英雄に叙せられた。というのが略歴である。

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2009年11月11日 (水)

地震に追われて

ニュースを追っていると地震のニュースがいつも飛び込んでくる。昨日はハルマヘラでマグネチュード5.3、9日はヌサテンガラで6.7と矢継ぎ早、最近の大地震は9月30日のスマトラパダンので死亡者1,100人規模の7.6、10月16日のジャカルタで体感地震は西ジャワ スンダ海震源の6.3であった。気象庁のページを見るとこの10月だけで震度5以上が59件もあった。スラウエシ、マルク、パプア、テンガラ、スマトラ、チモール、ベンクルと全国各地で西ジャワが4回もある。昔はニュースの伝達がなかったためか非常に少なかった気がするがまさか日本の地震がインドネシアに引っ越してきたわけでもないだろう。

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2009年11月10日 (火)

インドネシアは本当は金持ち

インドネシアの税務の通達などに所得の例が出るが、いつも感心するのはその金額が大きいことである。人の財布に精通した税務官が言うのであるからそれが本当なのかもしれない。
以下は最近のみなし所得の計算例である。
(1) A嬢はある生命保険会社の保険外交員として同社より2008年にRp520,000,000を報酬を得た。彼女のみなし所得はみなし所得計数ノルマを乗じた金額となる。
事業種別  小売額      ノルマ     みなし課税所得
自由職業 Rp520,000,000    50%      Rp260,000,000
(2) B子はジャカルタでマルチレベルのMLMの商売を行いRp100,000,000no売り上げがあった。併せてMLMのネットワーク構築のボーナス若しくは口銭としてRp500,000,000の支給を受けた。
業種別  小売額      ノルマ     みなし課税所得
小売業  Rp100,000,000    30%      Rp 30,000,000
自由職業 Rp500,000,000    50%      Rp 250,000,000
合計                           Rp280,000,000
いつまでも金を貢いでいるとだまされていることもあるかも知れない。

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2009年11月 9日 (月)

国立博物館新館の立つところ

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日曜日思い立って国立博物館を訪ねたが、閉館時間が思いのほか早く平日と同じ14:30であった。1時間程度で駆け足の見学である。金曜は平日でなくお祈りの特殊な日であるので11:30迄、土曜は13:30迄、月曜と祝日は休館でこれこそインドネシア人の怠慢さがそのまま残っている。ただし料金も昔のまま風でたったのRp750、東京は一般的に1,500円とすればなんと200分の1である。
住所はJl.Merdeka Barat 12(電話は21-386-8172)で、モナスのアルジュナの馬車を駆る像を過ぎ、Hankam(国防省)の隣である。右隣は通信省の建物でその間に昔、日本レストラン よしこがあったJalan Museumであるが現在は押しやられ昔のその道に新館が建ったものだ。
スマトラ店などやっているようであったがロックしてある。その他古代人の生活の模様などを展示しているが誰も見学者はいない。

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2009年11月 6日 (金)

ムアラ・アンケの見直し

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長い間、皆、海浜地区(Wetland)を廃棄土地として見てきたが、そこは多くの種類の鳥類の生息する場所である。オランダ時代1939年からムアラ・アンケの15haは海浜自然・野生保護地区として指定されていた。現在は25haに拡大されアンケ河の河口も含まれている。
ここMuaura Angke Wildlife Reserve(SMMA)はバンテンの領主Tubagus Angkeから名付けられている。
ここで鳥類の保護やごみの処分などジャカルタの同好会(FFI)が活動している。またアジア水鳥センサスが毎年1月調査を行っている。ここには77種が観察されうち17種が保護鳥、50種がこの土地特有で10種が他所からの移動してきた鳥である。
ここ特有の鳥としてスンダ・カッコーとミルキー・ストーク(こうのとり)がいる。スンダカッコーは20メートルも飛べない状況である。種の保存には500羽くらい生存していることが必要だが今は20羽しかいない。周囲の建物が他所への移動を邪魔しており後2年で絶滅の危機があるそうだ。この写真よりずっと先にはちょっと自然に触れて憩える場所がありそうだ。

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2009年11月 5日 (木)

再度モナスの危機

どうもインドネシア人は権限を振り回すのが好きで、次々と介入してきて自由度がだんだん無くなっていっているのが今のジャカルタである。Aamonas_menten_051
モナスを例に取るとあんなににぎわった80年代のモナスは今はだれも想像できないだろうし、次はまた二つの介入の手が伸びてきた。一つはあの周りを観光客を乗せて回っていたロバ車(デルマンという)が廃止され、二つ目は深夜は完全に塀で閉鎖されてしまう事となったことである。約90のデルマンは1年前は公園内で営業していたがこれを締め出され周りにいたものであるが今度はここの営業は完全禁止となりラグナン動物園にでも行かざるを得なくなる。 モナスの開放は24時間であったが、最近公園内での若人のセックスが目に付くとして閉鎖を決めたものである。又若人の恋愛が暗黒に埋没させられる。
つい最近ここで3日間も催した日イ友好祭りは快挙であったが次回もここでできるのであろうか心配だ

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2009年11月 4日 (水)

Humpussビルは何処に

PLNとTimah本社の間に昔トミーの所有するHumpussビルがあった。Aahumpus_2009_1101_141516dsc08824
国民車構想のチモール社も入居していたのでチモール・ビルとも言われていた。このモナスを囲む四周の道路沿いは民間企業の立地は禁止され、政府機関や国営企業だかしか所在出来ないといのが1985-2005のジャカルタ25年計画で決められ1995年大統領令25号で決定されていたのであるが、トミーことmandala Putraがこの地を国営企業から買い自社ビルを建てていたのである。その昔この地はダーダネルスホテルや或いはHotel Tranaseraがあったところである。ここに今二つのビルが建っている。後ろのビルは17回のアパートを狙っていたのであるが、スハルト失脚後間もない1998年6月ごろには既にジャカルタ市が追い出しにかかり、トミーは当時のスティヨソ知事やタンリアベン国営企業担当相とも相談し政府に売り戻した。儲けたかどうかは知らないがその結果現在はここに海洋水産省が入居している。 トミーは判事殺害か何かで入獄し、2006年10月には早くも出所出来、ビジネス界に復帰しているが、彼の持つ企業の幾つかはRasuna SaidのGranadi というビルにいる。このビルも昔からスハルト臭いが感じられたので深い関係があるのであろうか。

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2009年11月 3日 (火)

ジャカルタ停電の夜

先月から数度目の停電である。先月初めはチャワンの変電所か何かの事故であったが、今回のはやはり電力不足が底辺にあるからであろう。真夜中3時間強の停電で、12時過ぎ突然静かに消えた。町を見るとタンゲランに向かって町が黒々となっているが足元のジャカルタ中央も停電、北の方はビルの照明で明るさが目に付くが、多分相当な広域の停電であったと思われる。皮肉にも自家発電が進んでいるので大きなビルは煌々としているが
道路照明も、それは高速も含め消えていた。それに引き換え道路わきの大きな広告塔はなぜか電気が付いていた。昨年だったか10,000MWのプログラムが発動され中国企業等が参加したはずであるが、あまり進んでいないようである。このプログラムは原油使用から石炭使用に転嫁し且つPLN独占から民間発電企業(IPP)の参加を進めるものであった。最近第2の10,000MW プロジェクトが必要だとされ所要資金200億ドルとの報道もある。
3時半に電気が付き、テレビが鳴り出したのでそのまま起きてしまった。

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2009年11月 2日 (月)

Timahの本社建物

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世界最大のスズ生産会社、それがインドネシアの国営Timah社である。この会社の本年第3四半期決算の発表が報道されていたが今年は前半の世界不況の影響が大きく 利益 66%下落でRp1,281億、売り上げは26%下落で1.995兆、精製生産14,387トン、平均価格$14,770 per tonne、需要は底堅いので年間販売目標の45,000トンは不変とした。というものである。この会社の本社はメダンムルデカチムールにある。オランダ時代はBeton会社の保有していたもので20世紀初めこの一帯を風靡したWoonhuis形式である。副大統領官邸もWoonhuisである。

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