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2009年11月12日 (木)

スノパチからスリヨ通り

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スノパチ薬局のあるスノパチ通りを下るとスリヨ通りである。鳥元に行く時よく通るが昔はウイジャヤ通りへまっすぐ抜けたが今はウォルターモンギシディ通りで右折させられる。この通りも多くのサロンやレストなど華やいできたが一方通行で交通量も多い道である。このスリヨというのは最初の東ジャワ州長官であった人の名前である。
1898年東ジャワのMagetan生まれ、HISを卒業後、MagelangのOsviaで学び、Ngawiで民政官を務め更にマディウンやスカブミ、ジャカルタで警察関係に携わり、日本占領時は県知事や理事官を務めた。独立後直ぐ東ジャワ州長官になりこの時、イギリスのスラバヤ上陸を迎える。独立か死かとスラバヤを死の海としたこのスラバヤの戦いを戦い抜いた。最後はDPAのメンバーであった時代に業務でNgawiに出張した折、共産党の暴徒に遮られ殺された。1948年50歳であった。1964年独立擁護英雄に叙せられた。というのが略歴である。

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