Amerika kita strika ジャカルタへ
12月30日に合う話題は少ないが、この日バタビアが正式にジャカルタになった日だという。実際は日本のインドネシア占領は1942年3月9日であり、直ぐに地方行政を州(keresidenan)、県(Kapupaten)、市(stadgementer)、村落には隣組(現在のRT/RW)を設置し、バタビアの名前をジャカルタに変えた。オランダ時代の道路名や建物は日本名に変え、バタビア建設のクーン将軍の像は破壊した。
占領当初は日本軍は歓迎を以て迎えられ、日本軍もスローガン‘Amerika kita strika’(アメリカにアイロンかけ) ‘Inggris kita linggis’(イギリスはかなてこでねじ伏せろ)と民衆を焚きつけた。こんなしゃれたスローガンを作れる人は日本軍にいなかったのだから、多分これはスローガン好きなスカルノの傑作ではないだろうか。米英をこのように切り捨てた大統領はその後もいない。公式にジャカルタになったのはハーグ条約の後であるが、これも自分たちで決めた事を歴史に残す為のものであろうか。歴史の一こまとしてのみ。写真もスカルノが演説した大集会.の一こまである。
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