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2010年1月21日 (木)

Kapitan パティムラ

クバヨランのピッザマンの像からパサラヤに向かう内側の道がパティムラ通りである。このPattimuraはアンボン出身の英雄である。本名はThomas Matulessy、1783年マルク諸島アンボンの東のSaparua島で生まれる。キリスト教徒である。
ナポレオンが崩壊したあとイギリスは支配下に置いていた東インド全域をオランダに譲った。オランダはマルクを再占領の為1817年侵攻してきた。パティムラはこの侵略に立ち上がり、5月にはDuurstede要塞を占領、多くの死傷を与えた。死亡したオランダ人理事官もその一人であった。その後オランダ軍を3ケ月間も麻痺させるほどであったが、オランダが戦力を増強してきた為最後には彼は捕まってしまった。オランダ植民軍裁判で絞首刑が宣告され、オランダは絞首刑と引き換えに協力を説得したが彼の妥協を許さぬ難い決意は同年12月16日死刑の執行となった。死刑の執行はアンボンのビクトリア要塞前で行われたためパティムラは全マルクの英雄となった。1973年パティムラは国家英雄となり又現在の1,000ルピアお札の表を飾っている。
アンボンのパティムラ空港、パティムラ大学、パティムラ・ポリテクニック大学、パティムラ軍管区などに名前が残っている。マルクは当初オランダが占領したが1798年イギリスが来襲しオランダを駆逐したがその時はパティムラは英国軍で参戦している。以上が昔調べた内容であるが、最近買った英雄列伝にもそれ以上のことはない。

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