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2010年1月18日 (月)

Koningsplein モナス広場の生まれ

Monasdiponegoro
1750年ごろの地図をみるとここにはまだ広場の痕跡は見えない。ここに目をつけたのは1809年のダーンデルス総督の時代でそれまではBaffalo Veld(訳せばバンテン草原)と呼ばれたことから草原であったのであろう。そこから想像すると当時のジャカルタの南部は未開拓のジャングルであったのではないかと錯覚するが、この地図にはちゃんとMenting(メンテンか)、Matraman、Grogolの地名やJapanというカントリーハウスがあった場所が記載されている。そう言えば1750年はボゴール宮殿を造ったイムホフ総督の時代であるので、ジャカルタ南部も相当開かれていたのである。ダーンデルスはそれまで軍事演習場として使われていた現在のバンテン広場(当時の名前はPavillijensveld あるいはParade Plein)が手狭になったとしてこのモナスの地に移しChamps de Marsとなずけた。
ここがKoningsplein王の広場となったのはそれから9年、ラッフルズが去った後の1816年かペルス総督の時代である。

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