US 大使館はCagar Budaya?
ムルデカ・スラタン通りの東端にあるアメリカ大使館がジャカルタの文化保護(Cagar Budaya)条例の対象になっているのを知った。米国の持ち物がDKIの文化保護対象施設になるとは不思議である。
現在の米国大使館は大変な厳戒体制にあり、カメラを向けるの銃を向けられるほど怖いところである。どのくらいの歴史があるのかは知らないが、インドネシアが独立したのは1945或いは1949年なので1949年以降の事であろう。但し蘭領時代は大使館でなく領事館としてここにあったかもしれない。日本は戦後賠償で正式に国交が開かれた1958年に大使館を開設したがそれ以前はこれまたいつからは知らないがムルデカ・バラットの北の端近くに領事館があった。今このモナスを囲む4周は共和国大統領宮殿(イスタナ・ムルデカ)を北の辺に置いた別格の土地柄であり、行政府官庁のビルのみが所在を許されている場所である。1958年日本はここを出てIman Bojol No.1の旧前田海軍武官府に大使館を開設したが、ムルデカ・バラットを出て行った理由は解らない。
大使館は年末30日、大晦日にバリ爆弾警戒警報を発したが、情報源はバリ州政府というもののバリ州は否定する話があった。
(追記)2017年5月11日ブログhttp://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/uscagarbudaya-2.html参照
蘭印時代アメリカは北の現在BI博物館の前(?)に日本はクブンシリーの先のFachrudinにあった。
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