« 今なぜ、「国姓爺」なのか | トップページ | 長谷川伸の国姓爺からコルネリアへ »

2010年2月15日 (月)

スルタン・ハミッドIIとガルーダ国章

ガルーダの紋章をデザインしたTシャツが国際マーケットに出回っているようなニュースがあったがガルーダ紋章の人気はなんだろうか。Ab


この紋章は「ガルーダ・パンチャシラ」(Garuda Pancasila)と呼ばれ、、1950年2月1日、カリマンタン島のポンティアナックのスルタンであったハーミド2世によりデザインされ、インドネシア共和国の国章として制定された。Sultan Hamid IIは非常に端正な顔をしており、母にはイギリス人として育てられたがアラブ系である。Istriはオランダ人で今も子供はオランダにいる。ジョクジャ、バンドンおよびオランダで(KMA Breda)で学なんだ。紋章は制定委員会が設けられM.Aminが会長でHamidやDewantoro、Natsirなどがメンバーで最終的にはM.Aminのものと争ったがHamidのこれがDPRできまったものである。ガルーダとは、ヴィシュヌ神のヴァーハナ(神の乗り物)をして使える神鳥であるがデザインはむしろジャワ・ジャワクマタカからきており、栗色を帯びた羽毛が特徴でインドネシアの国鳥ともされる[2]。
ガルーダの羽毛の数は左右の翼には17枚、尾には8本の羽毛が、尾の付け根(盾の下)には19枚の羽が、首には45枚の羽がえがかれているがこの数字はインドネシアの独立宣言日1945年、8月17日からきている。もナスもそうだが、数字合わせが好きな国民だ。

|

« 今なぜ、「国姓爺」なのか | トップページ | 長谷川伸の国姓爺からコルネリアへ »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: スルタン・ハミッドIIとガルーダ国章:

« 今なぜ、「国姓爺」なのか | トップページ | 長谷川伸の国姓爺からコルネリアへ »