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2010年2月19日 (金)

倭寇も鎖国も一緒には論じられない?

国姓爺スト-リーで「倭寇も取り締まわれ、鎖国の徳川幕府は鄭成功の援軍の要請を冷たくあしらった。鎖国の罪悪である。」などと論じたが、鎖国の罪悪論はあうが倭寇のそれはないようだ。 昔学んだ倭寇はこの字の通り日本人による盗賊(侵す)とだけ記憶しその後の山田長政などにつながり日本人は強かったとほくそ笑んで終わっていたが、その後の研究は、そう一筋縄の話ではない。一つにはまず14世紀朝鮮李王朝成立前後(倭寇討伐で名声を得た李成桂が、高麗を倒して李氏朝鮮を建国)は実際は日本人より朝鮮人の方が多く、後期の明朝時代は中国人の方が多かったという。又共に海岸の領主は湾岸騒乱の中央政府への言い訳を倭の所為にしたことで、日本に対し倭寇取り締まりを申し入れたりしたが、倭寇という言葉自体、中国が作った言葉である。
確かに五島列島などに松浦党などが海賊集団として本拠もあったようだが、中国側にも長谷川伸の鄭成功には劉香、鐘斌、許棟などが登場或いは他に王直や徐海、李光頭などという海賊頭目がいたと言う。 鄭成功の父の鄭一官(芝竜)は海洋商人を自負し海賊と闘うが、歴史家はこの地域の東シナ海は日中韓の国境を離れた人々の生活環境で海の上での貿易交渉には武力防衛力も必要だったと分析する。特に明は私貿易を制限しており、これに反対する中国や朝鮮の商人たちは日本人の格好を真似た(偽倭)のが多く、実際1567年明朝が海禁政策を改めて、廈門(アモイ)を開放したとたん、倭寇の記録はなくなっている。Photo

ということであるが日本人の海外雄飛の性向は鎖国がなければ何かを生んでいたことは想像できる。鎖国以前に出国していた人々は故郷に帰れず途絶えた悲しい歴史もある。図は強そうに描かれたマニラの日本人の図

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コメント

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投稿: dinoo | 2010年7月22日 (木) 02時31分

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