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2010年3月16日 (火)

ハエルル・サレー

2月24日のハイリル・アンワールシリーズの起点である。
彼も西スマトラの出身・サワールント出身である。1930年代はジャカルタ法科大学で政治活動、日本占領時代はメンテン通り31番地の学生寮を拠点とする (Sukarni)、アダム・マリク、ウィカナ等と6月にABI (Angkatan Baru Indonesia) という新世代運動グループを形成した。独立宣言の前日にスカルノ拉致、タンマラカの闘争同盟やムルバ党結成にも参加、46年シャフリールやアミール・シャリフディンの外交路線に反対したため逮捕、釈放後52年にヨーロッパ留学帰国後56年新青年運動を提唱、57年ジュアンダ内閣で在郷軍人相、その後建設相をずっと勤め暫定国民協議会議長を兼務、63年には第3副首相、66年事件連座で逮捕投獄、67年拘置所で急死した。
1948年第二次侵攻のときはバンテン戦隊で竹槍戦士として有名。スカルノの右腕であったが、先に失脚した。

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