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2010年3月10日 (水)

東運河の取り残された家屋

カサブランカのずっと先、チピナン刑務所に向かう道バスキ・ラフマット通りに入ると右手に大きな運河がある。Ab20100307_dsc00138


Ab20100307_dsc00139


これが東洪水運河(KBT)の最初の受け口で、多分カラワン方面から流れてきたカリ・マランを受け継ぎ逆に又東に向かわせる。KBTはこうして最初横に流れ縦に流れる5大河川をつなぎ北上し海に流す。一応海まで貫通はしたようだが護岸工事や川幅拡張などがすんでなく完成は乾季の6月と言われている。5つの川とはSunter、Buaran、 Cakung、Jati Kramat、Cakungである。ちょうどバスキ・ラフマット通りで運河にかかる橋があったのでそこから覗いた写真を掲げる。
居座り続ける住宅が一つ、スハルト時代は強制排除したであろうが、今は運河の水に土台が洗われていつか崩壊するのを行政は待っている図である。あとひとつは東に向かう運河を端の飾り窓から覗く。

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