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2010年3月19日 (金)

スルタン・ハミッドの功罪

スルタン・ハミッドII世の評価は善悪二つに分かれるが、図らずもアルマーニのガルーダ紋章盗用事件でこのブログでは名誉回復から始まった。つまり2月15日のブログでインドネシアの国章のデザインはこのスルタン・ハミッドIIのデザインであることと端正な顔立ちだけを記述したからである。このデザイン製作の事実は特にスカルノの時代は伏せられており、彼を国家英雄とまで持ち上げる人は今持っていない。スルタンハミッドはポンチアナックの王族であり、1947年ファンモークのオランダが画策する処のインドネシア分断・連邦制に乗り1947年西ボルネオ国を設立した。

1949年のデンハーグ円卓会議ではこれら隗儡政府を代表して出席し、連邦制を条件のオランダのジャワスマトラ主権移譲が成立した。この連邦制は1年をおかず崩れるが彼は1950年にウエスタリングのジャカルタ攻めに関係した廉でスカルノにより逮捕された。この西ボルネオ国は現在は西カリマンタン州となり4つのカリマンタン州のひとつであるが、隣はマレーシアのサラワクで更に世界最大の富裕国ブルネイもある通り、連邦制を夢見る地合いは十分にある。かれはオランダに協力したのでなく最後には特別州としての自治を考えていたのである。

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