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2010年4月 5日 (月)

12,000人のインドネシアの志士

スルタン・ハミッドの西ボルネオ国はインドネシア連邦支持組となったが、あの当時6つの傀儡国家と9つの傀儡自治地域とインドネシア共和国(主としてジャワの一部とスマトラ中部)の16け国の連邦を条件としてオランダの委譲を認めさせたのがハーグ円卓会議でそれは1949年12月27日であった。そして翌年早くも3月9日には東部ジャヤ、中部ジャワ、マドゥラが共和国に参入しその後雪崩を打ってこの15自治国・地域は共和国に併合され、現在の単一共和国となったわけであるが、その驚くべきスピードの背景はどうだったのであろうか。
永井重信氏の著述によると、ハーグ条約の後オランダは撤退し、政治犯として逮捕拘留されていた12,000人が釈放され、それに勢い付いた共和国支持派の力が圧倒したとの事であるが、まさにこの12,000人は単一共和国成立への志士といえよう。但しこの中から名前をはせた人が輩出したわけではない。むしろ軍を持たない地方自治国へ国軍が浸透し多くの民衆の熱望が大きな動きとなったものであろう。PETAが中心となった国軍の組織力はその後も地方反乱を鎮圧しインドネシア安定の基盤となる。

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