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2010年4月19日 (月)

1955年のバンドン会議から55年

昨日4月18日は1955年のバンドン会議があった日である。日本にとっては終戦からほんの10年で1951年にサンフランシスコ講和条約はなったもののインドネシア(調印はしたが批准はせず)ともまだ平和条約はなってなかった(1958年)時代である。バンドン会議のアイデアは時のアリサストロアミジョヨ首相のアイデアで、1953年のコロンボ会議(インド・パキ・ビルマ等5ケ国)で決定されこの5ケ国が招聘国である。インドは講和条約には調印しなかったが翌年平和条約を結んでいた。中国は台湾側と平和条約は成立していた。日本はこう言うなかでもアジアの国々のお陰で参加でき、国際社会への再出発ができた記念すべき日である。 
バンドン会議はナセル、ネール、周恩来の大物が参加し、スカルノの名前を高ならしめたがバックにサストロアミジョヨが居たのである。国際的には東西冷戦と再植民地主義で世界平和が脅威にさらされていたため、アジア・アフリカの連帯を高めるものであったが、インドネシア国内的にはニューギニア問題の国連での解決を進めていた時代でもある。 ニューギニア問題はインドはインドネシアをバックアップし、日本も賛成票を投じていたが。。。
会議には日本からは鳩山首相が国会会期中だとして高崎経企長官が代理出席した。

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