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2010年4月15日 (木)

オランダ時代の師範学校と教育の変遷

インドネシアの教育史の中で見覚えのある写真に出会った。 Abbandung_aug08_217akaruku


2年ほども前になるがバンドンで取った写真の中にあったオランダ時代の建物である。 Sekolah Guru(Kweekschool)でSekolah Rajaとして知られていたそうで1866年設立である。1850年オランダは現地教師の不足をきたし1852年最初の師範学校がスマランで出来ていた。
その後、児童の数は1900年で125,000人であったが1928年には1,500,000と急増している。1928年オランダ系の学校で学んでいたのは65,000人である。中等教育は25人から6,500人、STOVIAが設立されたのは1898年であり259人の学生がいた。これが後の医科大学になり、またITBの前身THSの設立は1920年である。この時代になると官職用の人材の不足はなくなり、教育を受けた人たちは民族運動に目覚めていき1922年タマン・シスワが生まれる。
日本時代はオランダ系、現地系の2系統学校をインドネシア語による国民学校として統一、6・3・3制を実施した。当然日本語は必須であった。  写真は二つの平屋の建物が見えるが実際は3連である。そこに入った訳ではなく、のぞいtただけであるが何となく懐かしさを感じる風景である。


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