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2010年4月28日 (水)

国民運動家 裕福家庭の学校教育

ナッシール達の学童・学生時代の学校をみると、この当時の国民運動家の裕福な家庭の学校教育は共通性がある事がわかる。つまり完全にオランダ系の学校である。 初等教育はHISが広く設置されていたようで、中等教育には地方の大都市に下宿、高等教育はジャカルタ、バンドン、ソロなどジャワに出てくる。小学校にあたるのがHIS (Holands Inlandsche School)、中学校にあたるのがMULO、(Meer Ultgrebrig Lager Oonder-wijs)、高等学校はAMS (Algemene Middelbare School )と言う。 しかし6-3-3となっていたわけでなく現在のそれより少し高めである。小学校にはELS (Europese Lager School)と言うのもHISが出来てからは欧州人子息に限定された。オランダが作ったオランダの為の学校から反オランダの独立運動家が育ったわけである。
アグスサリム(西スマトラ1884)  ELS-HBS Batavia-サウジ留学
スカルノ   (東ジャワ 1901) HIS-私塾-HBS-THS(ITBの前身)
アミン    (西スマトラ 1902) 現地校―HIS-AMS Solo(24歳)-RHS Batavia
ハッタ    (西スマトラ1902) ELS-MULO Padang-HMS-オランダ留学
ナッシール (西スマトラ 1908) HIS-MULO Padang-AMS Bandung
ルム     (中部ジャワ1908) HIS-STOVIA Batavia-AMS-RHS
アミルハムザ(北 スマ 1911)  HIS-MULO Medan-AMS Solo-法専Batavia
ロシハン  (西スマトラ 1922) HIS-MULO Padang-AMS Yogyaa-エール大学
Abdutch_schoolsman


写真は現在のBudi Utomo通り7番地にあるSMAN-1という学校で、上記のAMSに当たる学校で名称は " HBS:Hogere Burger School - Prins Hendrik School (PHS)"、設立は1889年である。RHSはRechts Hooge Schoolでジャカルタ法科大学 である。

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