« 12,000人のインドネシアの志士 | トップページ | 嗚呼玉杯に花受けて »

2010年4月 6日 (火)

モンギシディこそ志士

PLN本社はクバヨランのトルノジョヨ通りの警察機動隊の前の写真で紹介したが、この道の先パサール・サンタからテンデアンに向かう道がウオルター・モンギシディ通りであるが途中で前方からの一方通行になる。従いスノパティ通りの先のスリヨ通りから右折して入ってまっすぐ西に取ると警察機動隊に出てくる。Ab2009_1107_185318dsc08940


少し渋滞が激しい道であるが韓国料理店が数店進出、ちょっと気取ったローカルの店も多いが、ローカルの店にはビールがなさそうでやめたことがある。この道の名前はRobert Wolter Mongisidi という反オランダの国家英雄の名前である。彼はメナド生まれなのでこの道とは関係がないようだが。。。1925年生まれで、独立戦争の中1949年に散った若い戦士である。少年期はHISと日本語学校で学び、オランダ軍が南スラウエシを占領せんとしたとき彼は南スラウエシ人民抵抗軍(ラスカル:LAPRIS)を結成しゲリラ戦で立ち向かった。
1947年オランダ軍に逮捕され、追放・逮捕を繰り返し最後は死刑を宣せられた。処刑のとき左手は聖書を持ちムルデカと叫びながら拳を振り上げた。聖書のペイジに詩が書かれたメモがあり、それには“Setia hingga terakhir dalam Keyakinan”(最後まで忠節を信念に)とあった。彼こそ12,000人の前に散った志士であろう。写真はスリヨ通りから入ったすぐのところにある建物である。

|

« 12,000人のインドネシアの志士 | トップページ | 嗚呼玉杯に花受けて »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: モンギシディこそ志士:

« 12,000人のインドネシアの志士 | トップページ | 嗚呼玉杯に花受けて »