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2010年4月12日 (月)

あっけないパスンダン国

単一共和国成立前にバンドンにパスンダン国があった。パスンダンとはスンダの土地の意味でもともとジャワの共和国に対立させるため1946年5月オランダが働きかけてパスンダン国民党などを作り、レンビル協定後のハロハローバンドンで共和国軍が去った後47年10月ラジャを集めて西ジャワ国を成立させた。これが48年4月に改称したのがパスンダン国である。西ジャワはヒズブラーのダルルイスラムの本拠地でもあるが、国民運動の中心地でもあったので、むしろ反オランダ感情の方がつよかったのではないだろうか。ハーグ協定の2ケ月後には、ウエスタリング事件が起こり、これを鎮圧した共和国はパスンダン国の解消を決定した。
初代最高裁裁判長となるKusuma Atmajaはパスンダン国の代表に進められるが断った。現在あまりPasundanなる言葉は死語に近いのであろうか

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