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2010年4月 8日 (木)

グデ・アグンとスルタン・ハミッド

単一共和国成立前のインドネシア連邦を最後まで支持した二つの国はスルタン・ハミッドの西カリマンタンとグデ・アグン(Dr. Ida Anak Agung Gde Agung)東イ ンドネシアである。東インドネシアはチモール・チムールからバリを含みマルクを囲むハルマヘラ・セレベスまで、殆どインドネシアの半分近くの広さを持つ広大な地域である。オランダは1946年にこの地域の分断独立を提案したがその中でイスラムとキリスト教の対立の緩衝地帯としてヒンズーのバリを取りこんだ。各地の王族・ラジャの115人の集まりのなか大統領はバリのスカワティがなり、首相にはセレベスのナジャム・ディンであったが、短命内閣のあと数代後にバリ・のグデ・アグンが1947年12月から最後まで首相を勤めた。バリ人自身が共和国寄りであり、グデ・アグンは共和国と打ち合わせ連邦制でオランダに主権移譲させた。主権移譲後多くが単一共和国に合流したが東インドネシアは最後となり1950年8月17日である。
正式名前はDr Ide Anak Agung Gde Agung、1921年7月24日バリGianyar生まれ、ウブットのギアナールの王族である。ジャカルタ法科大学、オランダ・ユトレヒト大学で歴史学ドクター 学位取得、日本時代はギアニャール県長、1946年東インドネシア国の副首相、上記の通り1947年には首相になる。
単一共和国成立に功績ありとして統一後のハッタ・RIS内閣で内務大臣、その後55年ハラハップ内閣の内相があるがベルギー、ルクセンブルグ、フランス、オーストリア大使を歴任している。2007年になりやっと英雄叙任を受けるが、若干選定に戸惑いを感じる。後で考えるとハミッドも連邦成立にオランダを安心させる為の役回りであったようだとしてもまだ叙勲はない。
グデアグンというこの少し妙な名前はギアニャールの王族の由緒ある名前で現在も県知事は同じ名前を冠しているようだ。

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