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2010年4月22日 (木)

タンジュン・プリオクの謂われ

4月16日のインドマルコのニュースに、「首都港の拡張でターミナル内にあるイスラム聖職者の墓地撤去めぐり警察と周辺住民が衝突する騒ぎ、首都政府の警備隊員3人が死亡、134人がけが。結局、首都政府の仲介により国営港湾会社と住民代表との間で話し合いが持たれ、墓地の撤去はとりやめに(15日)。SBYも同聖職者の子孫と面会し墓地を文化遺産として保護すると表明した(16日)」、
Abhasan_trim


Hasan


と言うことで調べてみるとこのインドネシアの最大の港タンジュン・プリオクと言う妙な名前の起源が判った。
18世紀前半にこの地方にイスラムの伝道師にプリウクと言う名前の導師(Mbah Priuk)がいたが1756年海上で嵐に会いなくなりこの地に埋葬した。正式な名前はHabib Hasan bin Muhammad Al Haddad、で埋葬された彼の墓は壊れたオールと彼のご飯を炊く釜(Priuk)で、傍にTanjungと言う花が植えられた。Tanjungは岬の意味でもあるがこれがこの地の呼称の始まりである。
最初はこの土地ではなかったがいつかこの地に移された。その後時の過ぎゆくままに(Seiring Waktu berjalan)、この地は密集化しKoja病院も出来、隣は港のコンテナーターミナル迄出来た。
このお墓には全国から多くのムスリムが巡礼(Ziarah)に来るようになっていたそうで、弟はスンダクラパの古いルアル・バタン・モスクに関係している。
紛争は住民(Warga)、相続人(ahli waris)とTerminal Peti Kemas (TPK)を持つ国営Pelindo II社であるが、同社はオランダ時代と思われる所有権を示す書類も持っているし、1997年にお墓自体はTPU(公共墓地)に移す決定も出ていた。 この時の話なのか、言い伝えでは移動しようとしたブルドーザーは壊れ、オペレーターは病気になったそうである。
整備され史跡となるのは歓迎であるが、も一つ事績か歴史がほしい感じである。写真はDetik.comから借用した。写真の拡大もできないので、またいつか行って見よう。

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コメント

ROMですが、いつも読んで勉強になります。ありがとうございます。
http://www.tempointeraktif.com/hg/fokus/2010/04/14/fks,20100414-1229,id.html
http://tempointeraktif.com/hg/tata_kota/2010/04/14/brk,20100414-240315,id.html
この話ですね。

投稿: siksaan | 2010年4月23日 (金) 10時48分

そうです。
ちょっと遅かったですね
また行くと言ってもタンジュンプリオクのモスクは
怖い感じです。ジャッカルの芽など思い出します。

投稿: jakartan | 2010年4月24日 (土) 21時53分

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