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2010年4月26日 (月)

モハメッド・ナッシール元首相の親日度

日本のアジア侵略に対する評価として各国の著名人の言葉を集めたものがあるがその中にナチールは肯定的な発言をしたと紹介されている。Moh_natsir1


彼は日本占領時代にはバンドンで日本占領政府の職員となり教育庁のトップをしていたが、占領日本軍のイスラム団体の統合の依頼を受けて日本がMIAI(ミアイ:全インドネシア・イスラム協議会))と言う組織を作ることを助言した。これが独立後1945年11月3日にマシュミと言う政党になるのである。ミアイが入った建物はブッダバーで紹介したことがある。 
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ナッシールは西スマトラの1908年生まれであるがオランダ系教育の傍らパダンでAbdullah Ahmad師にイスラムの教えを学び且つイスラム青年同盟に参加していた。1927年バンドンでの高等学校AMSに移り、ここで青年同盟のバンドン支部の支部長になっていた。またイスラム同盟が設立したイスラム教育(Pendis)の学校Persisでの教師やPendisの理事にもなっていた。ここでイスラム同盟の発行する機関誌の編集にも携わり、国教一致を主張してスカルノと対立していた。スカルノはトルコのアタチュルク大統領に従っての国教分離を唱えていたのである。神国日本がイスラムに理解を示した訳でもないのでこれで親日になったとは思えない。
またマシュミ党の党首になったナッシールが統一共和国の最初の首相になったのであるが、それを最後に、マシュミ党のおかげで英雄になれなかったのではないだろうか

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