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2010年5月13日 (木)

つきとめたプラサスティの墓ひとつ

先日プラサスティ墓地公園を案内することがあり、懸案の墓探査をおこなった。墓のあるじはオランダ植民時代の金持ち商人のvan Braamである。4月29日に登場させた通り、セミ博物館の壁にあった墓の一覧表からF ブロックの69番と言う所在を突き止め、案内人顔をしている男に調べさせて墓の奥の方にあることが分かったものである。Ab106

飾りも何もない平板の石にここに眠るJ.A. van Braam、1771年生まれ1820年没と読める。彼は現在のイスタナ・ネガラにカントゥリーハウスを持ち住んでいたが、この邸宅が彼の死後1820年に時の総督が総督宮殿ととして買い上げられたものである。

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