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2010年5月19日 (水)

スカントの面々

スカント将軍と同じ名前にProf.Sukantoがいる。彼はジャカルタの誕生日を6月22日と突き詰めた人である。
最初にジャカルタの生まれた日を特定しようと思い立ったのは1953年に第3代の市長となったSudiroである。そこで彼は当時の歴史学者に呼びかけ、ヤン・ピータースゾーン・クーンが建てたバタビアではなくジャヤカルタの成立日を調査するよう呼びかけた。3人歴史学者の中でProf.Dr Sukantoだけが6月22日とする研究結果を発表した。スカントは当時国立文書館(当時はArsip Negara)の館長であった。そしてこれは1954年末にSudiroが序文を書いた「Dari Djakarta ke Djakarta」と言う本となった。
その後1956年2月に市議会で6月22日を誕生日とする条例が可決された。その年に第1回の生誕祭(429年周)が行われたのである。
彼は1919年に書かれたF. de Haanの Oud Bataviaから多くのヒントを得ている。
ポルトガルがパジャジャランと同盟の条約を締結したのが1522年の8月21日で、De  Haanは凡そ5年後にこのスンダクラパと言われた街はバンテンのファタヒラーの手に落ちたとしている。
モスリムであったファタヒラーはイスラム暦を知っていたが未だ民衆にはジャワ暦が一般的で彼の妻はデマク王の王女であったためジャワ伝統を尊敬していたはずだとしてこの日を決めたものである。しかし彼自身もこれは推定であると断っている。
他にSukantoの名前はSukanto Tanotoと言う 華僑の実業家がいる。彼は2007年Forbusでインドネシア一番の金持ちにランクされたことがある。

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