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2010年5月 9日 (日)

ジャティネガラの闘争記念碑の記念事件とは 

この記念碑Monumen Jatinegara は独立戦争でのこの地域でのオランダとの戦いの勝利を記念するもので、一人の兵士と子供が立っている像である。Abbogor_nov06_056_4


Koinonia教会を三角の頂点として三つの道が通っているところで通りの名前はマトラマン通り、西ジャティネガラ通り、ウリップスモハルジョ通りである。これについてDKIの出版物に以下のような説明があったので補足する。
東ジャカルタ特にジャティネガラでの対オランダ人民の闘争はジャティネガラを中心とした地域での連続的な闘争である。この地域はPasar Macan、Kampung Melayu、Kampung Ambon、Pal Meriam(Solitude)、Gang Bunga、Viaducht(映画館に近い橋) Pasar Mode(Gang Kemuning)、Leo Nilan(現在はバイパス)、Domis Park(現在駅の裏)、Kayumanis V Lama、Gang Nambru(高い椰子の木)、Depo Jatinegara及びKlenderが含まれる。人民はHaji Daripが率いる人民決起隊(PPPI)に合流した。ポンドクグデでの集会を終了した後ダリップはクレンデルがオランダ軍のトラック14台に占領されたとの伝令があった。
装備の差があり両者は一旦協定し、人民軍はプルワカルタに引き下がざるを得なかった。しかし1945年10月25日、ピーイが特別隊を組織し、Amir Jamai Effendiと言う名前の青年闘争の登場である。彼らはPulo Gandul地区のOPI指令部がジャティネガラでの略奪を抑え鎮めるよう助力を頼む為であったが、目的を変更しVerducht Gang Kelor鉄道橋の上のオランダ軍を妨害することとした。主目的はオランダ軍が道路を越える事をを防ぐことである。ちょうど15時半、一つのトラックがマンガライ方面からGang Kelorの鉄道橋の前で右へ進んできた。この一小隊をのせたトラックが標的に近づいた時トラックの方へ一斉射撃が起こった。形勢不利と見た敵は北方の第7大隊へ戻り他もそれぞれの本拠地に戻った。この事件を記念してこの記念碑はアリ・サディキン市長の時代に彫刻家Haryadiが建てたものであるが場所は不確実であったためこの地に移したものである。なるほど沢山の地名が出てくるが現在の地図ではどこなのか不明である。基盤の裏側に独立の英雄より気高いものはないとの文言がある。似たような文言はアルヤドゥタホテル前の英雄の像にもある。

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