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2010年5月28日 (金)

インドネシアの国会の歴史

インドネシアの国会の歴史を訪ねてDPR/MPRの国会博物館を訪ねた。Ab20100527_dsc01099


その前に写真を撮りすぎたので、優しくとがめられ、たどり着く前に諦めた。多分そこでも疑問は明かされないだろうと思ったからである。この国会が立ったのは1968年であるがその前はどうだったかというのがどうしても不明である。歴史を解き明かすと最初はオランダ時代のVolksraad国民参議会で1918年、植民地軍最高司令官がバンドンに本拠を移したため空いた現在のパンチャシラ記念館で執り行われた。議員数は当初38人、1939年の最後でも60名(内現地人30人)であった。日本占領時代は強いて言えば1943年に中央参議院を同じパンチャシラ記念館で行うが、それより重要なのは敗戦間際の1945年5月ごろからの独立準備調査委員会(BPUPKIなど正確には2段階か)がありこれが、1945年憲法とパンチャシラ宣言をまとめたのである。BPUPKIは現地人が70人参加したはずである。独立宣言後最初に設立されたのはKNIPインドネシア中央国民委員会で1945年8月29日、議員数137人(103人とも)で現在のジャカルタ芸術劇場で行われた。これは1950年2月までで永井重信先生の本では1949年末には500人以上の議員を数えたとあるが、独立戦争時代であり、バンドン、ソロ、ジョクジャ等でも開かれた。その後はRIS(Republik Indonesia Serikat)時代146人、単一共和国になった1950年8月16日のDPRS時代は236人、最初の選挙の後の1956年3月26日のDPRで272人、スハルト時代最高1,000人から現在692人となっている。

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