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2010年5月24日 (月)

デンガスデンクロックのスバルジョは

Ahmad Subardjoスバルジョが歴史に登場するのは3回ほどある。1回目は1945年8月16日から17日に掛けた独立の長い1日である。Abdenhadenkolok_016


デンガスデンクロックに拉致されたスカルノ・ハッタと急進青年グループの危機打開に動いた時であり、2回目は1946年7月3日事件でシャフリルと対立事件を起こした時そして1952年スキマン内閣の外相として行った米国とのMSA協定調印した時である。同時に対日サンフランシスコ対日平和条約にもサインしているがこれの批准は賠償迄待たねばならなかったし、MSA協定は米国からの援助受け入れがインドネシアの自主外交を損なうものとして、大反対となり外相辞任にまで追い込まれた。しかし1945年の8月の共和国初代外相というのも立派な勲章である。前田武官府詰めの職員程度しか考えてなかったが彼(1896年~1978年)は西ジャワの貴族の出でライデン大学に留学、インドネシア協会でも活躍し、35~36年にはマタハリ特派員として東京に駐在、日本占領時は武官府で独立養成塾の指導も行っている。その後はスイス大使や外務省顧問、国際法名誉教授などどちらかと言うと静かな晩年であった。

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