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2010年5月20日 (木)

Soekanto軍人道路

Jl.Soekantoにつながる道は軍人の道路名がつながっている。Soekanto将軍の手前が9.30事件でジョクジャで斃れたSoegiono大佐でその手前がBasuki Rachmat中将である。
9.30事件当時は東部ジャワの第8軍ブラウイージャワ司令官であった。10月5日の国軍記念日にジャカルタに来ていて事情を知らず反乱軍側で大統領官邸を包囲していたが、スハルトとの話し合いで兵を撤退させた。翌年スカルノの最後の組閣内容に反発した学生の反対大運動が起こり、ボゴール宮殿に逃げ込んだスカルノにスハルトへの権限委譲を認めさせたスプルスマール事件の立役者の一人である。スプルスマールとは3月11日命令書の意味で3人の将軍としてアンディ・モハメッド・ユスフ(工業相)、アミール・マフムット(JKT司令官)と共に乗り込みこの命令書に署名させたものである。内容は共産党を解散すること、内閣改造すること、物価値上がりの鎮圧の国民の三大要求を受け入れなければ秩序を回復し、大統領の生命は保証するとして大統領の生命を守り治安回復することをスハルト少将に命令する形をとっている。
1967年10月第2次アンペラ内閣、68年6月の第1次開発内閣の内相、スハルトの腹心となる。在郷軍人相

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