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2010年6月10日 (木)

独立宣言起草記念館と日本との関係

5月の上旬、インドネシア語の中庭で有名な東京外大の佐々木名誉教授をイマム・ボンジョールの独立宣言起稿記念館にお連れした。元兼松の広沢投資貿易コンサルタントとご一緒だったが、その時のお礼が氏の中庭ノートに出ている。お連れした鳥元の宣伝もしていただいている。Ab155


今、この記念館の案内ガールにきれいなイスラム女性が起用されて、多くの日本人を待っているので紹介しよう。ソニーの安物カメラではシャイアン氏の写真ほどうまく撮れないのが残念である。案内によると、この建物は1920年に建てられ当時オランダのNirmij保険会社が建築したようで、1931年から英国領事館が使っていた。日本占領時に前田精(ただし)提督の居宅となり、インドネシア独立に理解のある提督のおかげで45年8月17日独立宣言文が練られたわけである。日本軍が去った後英軍の司令官が入りここでオランダとインドネシアの独立交渉会議がイギリス特使等の仲介で行われた。
その時の写真はちょうど1階の会議室がそのまま写っている。その後対オランダとの対立の中で国有化され財務省の資産となった。Nirmijを受け継いだJiwasrayaが管理して、1961年から1981年までイギリス大使館が入った。1981年12月教育文化相が管理し国立図書館(当時3ケ所位に分かれていた)が、そして1984年博物館とすることが決定され1992年になって現在の博物館として公開された.。
NirmijはJuanda通りに本部を有しそこがJiwasrayaの本社となっている。ここをNirmijが使用したのは1931年までであり、1960年前後Jiwasrayaが入居する理由がなく、多分ここは1962年日本大使館が完成するまで平和条約を結んだばかりの日本大使館に貸したという推定は出来ないだろうか。 又、安東氏より前田邸は海軍武官府ならず武官府は別にあったという指摘をうけた。どこにあったのであろうか。
Ab_imam_bonjor


この写真もかなり古いが何か関連はないだろうか。
今日もメールはできない。attglobalがIDもアドレスもサスペンドし、VISAがクレジットカードを更新したからでもともたさせたのはVISTAである。 全部米系技術に翻弄される。

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