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2010年6月20日 (日)

ナショナルギャラリーの変遷

国立ギャラリーはケーニンクスプェイン・オストNO.14 にあったが、現在はムルデカ・チムールNo.14 である。
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あのモナスの地区名がKoningspleinからMerdeka に変わっただけである。何年にもなるのにブログ初登場である。それは今までに何度も行ったが、本館が閉まっていたり、リノベ中であったり、展示の準備中でいまだ中に入ったことがないからである。
ここは1,500点ほどコレクションはあるが通常は保存され公開されていないようだ。代わりに種々外部からのものも含め展示会を行っている。
この建物は1902年にKristen Carpenter Alting Stiching (CAS)財団によりプロテスタント聖職者でフリーメイソン会員Albertus Samuel Carpentier1837-1915)のイニシアティヴで、Ordo van Vrijmetselarenの下で開設された。
東インドの最初の女児用小中学校であった。正面の建物は現在4つある建物の中でGedung Aと呼ばれているがHBSの女子用寮であったが1955年にオランダとしての活動の禁止が出ている。CASはラーデンサレー財団に譲渡されたが未だOrdo van Vrijmetselarenの下であった。1962年スカルノがこのラーデンサレー財団を解散させ教育文化省が接収しその後、1965年ゲシュタプ事件の際学生運動のKesatuan Aksi Mahasiswa (KAMI)とKesatuan Aksi Pemuda dan Pelajar Indonesia (KAPPI)の指令本部となった。さらに陸軍のジャワ師団第1歩兵旅団の司令部を経て1981年文化省に返却された。文化のセンター的位置付けから1987年展示館となり正式にNasional Garaliとなったのは1999年5月8日である。(021) 34833954, 3813021、 (Director), 34833955

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