DepHubは運輸省(交通省)
インドネシアの省の一つにDepartmen Perhubunganと言うのがあるが、いつも日本語に訳す時に混乱する。
昔でいえば運輸省なのか郵政省なのかと言うことであるが、その混乱の大本はPerhubunganと言う言葉で、谷口五郎の辞書でPerhubunganの意味は交通、通信、連絡、運輸と出ている通りこの中に通信(郵政)が入っているからである。混乱の原因の二つ目は2006年JJCのインドネシアハンドブックではDephubを運輸通信省とし、一方郵政を含めて担当している省はDep. Komunikasi dan Informatika(Depkominfo)を通信情報省とし通信と言う名前の省が二つ出てくるからである。Dephubの組織を見ると昨日のブログの通り、陸運、海運、空輸、鉄道しかないので将に運輸通信省と通信を入れたのが間違いである。但しハンドブックを作る頃の組織を見ないと間違いと言いきれないかもしれない。と言うのはDephubは1945年の最初の内閣からDephubとしてあり、永井重信教授の本では運輸通信省と訳されているのでこの日本語の組織名は歴史伝統があるのである。このDephubが1959-1964年ごろ「Perhubungan Darat dan Pos Telekomunikasi dan Pariwisata 陸運・郵政・観光省となった時(海運省と航空省が別にあり3本立て)、郵政或いは通信がこの時代Perhubunganの意味に入っていた片鱗を示していた。
最初の大臣はAbikusno Tjokrosujonoで、現在の大臣はパプア出身の. フレディ・ヌンベリである。
またDephub管轄の国営企業を見ても全て運輸関係である。代表はガルーダ、ムルパティ、鉄道KAI、DJAKARTA Lloyd、PELNI、港湾PELINDO、空港ANGKASA PURA、陸運DAMRIがある。
写真はムルデカバラットの運輸省の本省ビルで小さく見えるがこの手前の建物の後ろに高層巨大ビルがKementerian Perhubunganと言う名前を付けてそびえている。今なぜかKementerianと言う名称に変更になったのであろうか これが次のテーマとして浮上した。
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