« ジャカルタのAula Simfornia | トップページ | ポルノの中のオバマ少年 »

2010年7月30日 (金)

Prof.Soepomo, SHの学歴と偉業

独立英雄の名士の学歴は殆ど似通っていると以前に比較したが彼も代表的である。http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-0b15.html
1903年スラカルタ生まれの彼は小学ELSからMULOへ、そして ジャカルタに出てHBSからオランダライデン大学へ留学した。
インドネシア大学から教授称号を得、1951年同学長となる。1945年憲法草稿に参加、その他多くの著述がある。日本占領時代はインドネシア政治連合協議会のメンバー、独立後は法務大臣や英国大使を務めた。1965年独立防衛英雄(Pahlawan Pembela Kemerdekaan)となる。彼の名前はパンチョランの通称7UPの大彫像のサークルの北側の道につけられている。これはその北のマンガライから始まったProf.Dr.Saharjo通りの流れでテベット辺りからガトットスブロト通りまでを 担当してそこからの南側の道はパッサールミング通りとなる。
- ELS (Europeesche Lagere School), Boyolali (1917)
- MULO (Meer Uitgebreid Lagere Onderwijs) di Solo (1920)
- Bataviasche Rechtshoogeschool, Batavia (1923)
- Rijskuniversiteit Leiden, Belanda
このような学歴はプリヤイの貴族の家柄だから出来るのであって、日本が来なければ、オランダ植民地政府の役人で終わっていただろう。1958年ジャカルタで死去した。

|

« ジャカルタのAula Simfornia | トップページ | ポルノの中のオバマ少年 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Prof.Soepomo, SHの学歴と偉業:

« ジャカルタのAula Simfornia | トップページ | ポルノの中のオバマ少年 »