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2010年8月10日 (火)

多くの名を持つPatung Dirgantara

ハリムに行く時、或いはカラワン方面工業団地に行く時いつもその下を潜っていく塔は正式にはPatung Dirgantaraであるが通称はパンチョランの塔ともセブンアップの塔ともガトットカチャの像ともいわれる。
Ab037


パンチョランは地区名でマハーバラタのガトット・カチャが今にも飛び出そうとする姿で、土台の形が7、又Dirgantaraとは航空・宇宙を意味するサンスクリット語である。
この塔は1966年に完成したが1964年にスカルノの肝いりでスタートし途中のゲシュタプの混乱の中、スカルノのPKIとの関係を薄くする為にもスカルノの最大関心で建築が進められたようだ。完成を急ぐ為自分の車を売却して建設の一助と迄した。設計はEdhi Sunarso、製作は 同氏が引きるKeluarga Arca Yogyakarta Sculpture Studioである。 ブロンズの像は11トンのブロンズで出来ており27メーターの高さである。Hutama Karyaが施行。

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