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2010年8月15日 (日)

Pinangsiaの謂れ

大昔はガジャマダの運河はグロドックの辺り迄北上し左手がパンチョラン、右はピナンシアと分かれる。左手の運河はピントゥ・クチールからカリ・ブサールとなり、右手はカリ・チリウン(或いはチリウン本体)と合流し駅裏からスンダクラパに流れる。
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いわばバタビア・城壁都市から中国人が追放されたグロドック地区を形成するが、左手のパンチョラン地区は多くの仏教寺院もありにぎやかである。ピナンシア地区に入り込むことはまずないが、ここは中国人の金融の中心だったのであろうか 中国人はFinansialを発音するとPinangsiaとなったようだ。

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