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2010年8月22日 (日)

バタビア誕生前史

デヨンゲ艦隊司令官によるアンボン占領はオランダの最初の領土獲得であったがそれまでの道筋は遠かった。スペインの無敵艦隊を恐れ無謀にも北極圏経由のアジアへの航海など、幾多の苦闘の末オランダは1596年初めてバンテン着くことができた。この時もポルトガル人の妨害もあり追い払われる形で立ち去った。1598年にはファン・ネック率いる艦隊は折りしもポルトガルと敵対しているバンタン(或いはバンテン)に到着、バンタン側を支援した為豊富な積荷を得る事が出来、帰国した。一部はモルッカに向かいテルナーテに商館を開いている。その後1601年にはオランダが派遣した船隻総数は65に及び自由航海時代と言わる様になった。この中に初代総督となるピーテルボットもいた。自由競争の弊害をなくし戦力を強化する為各商会を統合する為1603年東インドネシア会社が設立された。イギリスもポルトガルに遅れること1世紀、大航海時代に乗り出し1600年東インド会社を設立、オランダが行く所、平戸、バンテン、パンダに拠点を展開していた。特にバンダ諸島ではルー諸島を領有したり勢力を得ていた。 両国は各地の商館作りで張り合い、海洋で出会うごとに砲火を交えるほどであったという。
時にオランダは香料の売り渡し価格を低く設定したり価格維持の為香料樹木を焼いたりの暴挙でパンダ人の怒りを買い、パンダ人はイギリスと密貿易を始めるようになった。 パンダでの土人やイギリス或いは又スペインとの対立等諸問題から会社内の各地の商館、船隊、従業員、兵士の指揮命令を統一する為1609年にPeiter Bothを初代総督に任じた総督制が始まった。 ボットはアンボイナに赴任しポルトガル・スペインを駆逐し、又ジャガトラの領主と協定を結ぶなど成功したが1613年帰国途中、乗船が難破しマルリチウスの陸に泳ぎ着いたが力尽きて死亡した。半分以上の総督が異郷でなくなるVOC時代が始まるのである。

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