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2010年8月11日 (水)

通信情報省の今むかし

7月8日のブログで運輸省Dep. Perhubungan(いまはDep.といわずMenterianであるが無視する事にする。)、情報通信省との混乱の原因を論じたが、その続きである。
Ab_kominfo_may_2010


情報通信省の今の正式名はKomunikasi dan Informatika、略してDepkominfo、 昔はPenerangan(説明・情報)という名前であったがこれもPenerbangan(航空)と間違い易く運輸省と間違う理由の一つである。情報省は1945年の最初からあり、最初の大臣は後の首相Amir Sjarifuddinである。スカルノ時代は以降Natsir、Sjafrruddin Prawiranegara、Moh. Yaminなど大物が歴任、1966年にB.M.Diah、1978年にMurtopo、そして1983年に15年の黄金時代のHarmokoの後スハルトからハビビ時代の混乱の中1999年グスドゥルが省を廃止してしまった。復活は2001年である。
現在の大臣はティファトゥル・スンビリン、PKSの党首を務める48歳のムスリムである。
Penerangan省の小史をメモすると
1945からPeneranganでPerhubunganと共に10の省を構成していた。
1999 廃止
2001年国務大臣で復活 Kominfo
2005年省に昇格 Depkominfo
一方のPerhubunganの歴史を見ていくとこの中に郵便電話が関係しており1966年POSTEL総局が出来、1983年には観光郵電省と独立したが、1998年 POSTEL総局がPeneranganに合体し現在もこの通信情報省にある。現在の通信情報省の総局はこのPOSTELの他APTEL(IT関連)、SKDI(通信手段)がある。昔のPeneranganはむしろ情報管理を仕事としてきたようだ。現在は情報の自由化から通信情報省は上記の通り ITビジネス、ドメイン、周波数等を管理する省である。最大の混乱はこの省は運輸省(Merdeka Barat No.8) の横Merdeka Barat No.9にあるからである。国立博物館の横にありNo.9のほうが先に出会う。

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