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2010年9月15日 (水)

Pejambonの謂れ

Pejambonと」言っても今の日本人には用はない地区だから殆ど知られていないが、
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昔はそれなりに有名な場所である。現在はエマニュエル教会の裏手に当たる、或いは外務省あるいはグドゥング・パンチャシラ辺りである。パンチャシラ記念館は1945年6月1日のスカルノのパンチャシラ演説が行われ或いは同8月17日にスカルノとハッタが初代ンドネシア正副大統領に選ばれ45年憲法を採択した所である。。
プジャンボンは1808年のダーンデルス総督時代からあり、これらの建物の裏に流れるチリウン河に掛かるの橋の傍にアンボン人が守る守衛詰所があった。このアンボン人のガードの意味のPenjaga Ambon がプジャンボンの語源となったと伝えられている。その時代はニヤイ・ダシマの時代と同じで1813年この土地の管理人のイギリス人のEdward Williumの家に勤めた13歳のダシマがエドワードに愛され多くの遺産も受けた後財産目当ての馬車馬引きに最後は殺されチリウン河に投げ込まれた話である。更にプジャンボンと切り離されない話はHertog Parkである。このグドゥン・パンチャシラ土地はその後オランダ軍司令官が住む土地となり、1848年からの軍司令官Hertog van Saksen Weimarの名前からHertog Parkと言われるようになったそうだが現代の地図にはその名前は当然ない。

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