« Pejambonの謂れ | トップページ | バライ・サムデラと国軍の朝礼 »

2010年9月16日 (木)

鎖国と開国の入口

インドネシアのオランダと日本の関係は鎖国の入口の時代の多くの事件があった。そして開国の入口にも触れねばならない事が多い。井沢元彦の逆説の日本史からその開国の一コマを拾ってみた。
1774年:ターヘルアナトミア翻訳なる。
1808年:英フェートン号事件 軍艦による強要 幕府は打ち払い令で強腰
1823年:シーボルト鳴滝塾を開く、
1828年:シーボルト事件で追放
1837年:モリソン号の来航 民間外交
1840年:アヘン戦争:イギリスの時の最少ウイリアム・グラッドストンは大反対であったが死の商人ジャーディン・マセソンの裏工作で戦争の予算が通った。この商会の日本代理店がトーマス・グラバーである。
1844年:オランダ国王ウイレムIIの幕府に対する開国の勧告(助言)、シーボルトの説得。コープス大佐がパレンバン号で国書を長崎奉行に差し出す。
1846年:アメリカ国の正式な使節としてのジェームス・ビッドル提督の来航
1853年:ペリー艦隊
1600年から200年が過ぎ世界は蒸気船による第2次大航海時代になったのである。

|

« Pejambonの謂れ | トップページ | バライ・サムデラと国軍の朝礼 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 鎖国と開国の入口:

« Pejambonの謂れ | トップページ | バライ・サムデラと国軍の朝礼 »