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2010年9月22日 (水)

その頃のオランダ

その頃とはいつか それはインドネシアと関連するオランダ時代である。大雑把にいえば
最初の邂逅は1596年のオランダ商船がバンテンに着いた日であり、最後は1942年の日本占領の初めである。独立宣言からハーグ円卓会議後の単一共和制の発足や、イリヤン・ジャヤ争奪戦はオランダの未練が残っていただけで意味はないとすればオランダの残した足跡は1942年から-1596年故350年となる。
インドンネシアの歴史の理解にその頃のオランダの時代区分をみておくことは重要である。

1596年:オランダの進出  
それまでのオランダはローマ王国、フランク王国、ブルゴーニュ公国、神聖ローマ ハプスブルグ家の一部と国家を呈していない。ハプスブルク家がスペインと分割されるとオランダはスペインの支配下にはいった。(1555)、スペインは既に全盛時代を過ぎホラント州などスペインとの戦争状態に入るが、1596年ネーデルランド共和国として英仏の承認をとる。

1603年:東インド会社設立。
   17世紀はオランダはオランダ海上国家として黄金時代を築く。

1623年:アンボイナ事件 
このころから英国のオランダ敵視が始まり3度の蘭英戦争を引き起こす。1684年にはイギリスはヌサンタラから撤退。インドへ1688年イギリスで名誉革命が起こるとオランダウイレムIIIはイギリスに侵攻、しイギリス王をかねた(17年間) 

1799年 VOC解散 
1789年フランス革命が起こるとフランス革命軍はオランダに侵入、ランダはフランスによるバタビア共和国等で支配されたがフランスと敵対するイギリスがここインドネシアでもフランスを駆逐した。

1811年 ラッフルズ副総督 
ナポレオンが失脚するとイギリスに亡命していたウイレムが帰国しネーデルランド王国で復権した。 これがウイレム1世、2世、3世から1890年ウイルヘルミナ女王、ユリアナ女王、現女王のベアトリックスにつながっていくオランダ王国であるが上記は端折しすぎてしまった。

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