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2010年9月23日 (木)

バンドン駅の裏表

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昔バンドン駅に行った時不覚にも中に入らなかったのでそれが本当に駅であったのかどうか自信がない。その駅舎の外観は1930年代のバンドンの絵ハガキに描かれている絵と同じ故、確かにバンドン駅には違わないのであるが。。何故自信がなくなったかと言うとバンドン駅だと思って撮った写真が2枚あり、最初はそれは表と裏側かと思ったものの、この駅の間は非常に距離があり、一つの建物にはなりにくいので結局二つあるのであろうというのが結論である。
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そしてそれは多分最初の駅舎は何らかの理由で駅でなくなり、現在の駅は最初の駅の北側に新たに作られたものと推定される。バンドンに最初の駅が出来たのはボゴール等より遅いが1884年で、その後再築、リノベを行い現在の南側の駅舎が出来たのは1931年でこの時Dr.Ir.J.W.Ijzermanのデザインでアールデコ風になった。ここの駅前の道路はStasiun Baratという道が駅前広場と合体してあるようだがこの駅に行くには更に南側のKebon Jatiから入っていく。昔はこの広場の真ん中に芸術的価値も高い大きな常夜燈(Ir.E.H. de Rooデザイン)があったが今は取り壊され代わりに実物ロコがおかれている。ここの駅の機能を北のKebon Kawung側に写ったのは1980年代である。
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この二つの駅舎を同時に写真に取ることは出来ないが、二つの間の線路が走る構内は取れていたようだ。

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